大澤寿人
大澤寿人おおざわ ひさと (1907-1953)
準備中
「2003年2月設立演奏会プログラム解説より転載」
片山杜秀(かたやまもりひで・評論家)
ピアノ協奏曲第3番変イ長調は1938年2月5日から5月にかけて作曲され、同年6月24日、大阪朝日新聞社会事業団が主催する「大澤壽人作曲指揮 愛国交響大演奏会」(於大阪朝日会館)で初演された。曲目は頭がベートーヴェンの交響曲第7番、次がこの協奏曲、最後に大澤の幻想交響詩《西土》の再演。全部の指揮はむろん大澤、管弦楽は宝塚交響楽団、ピアノ独奏は当時日本に在住していた白系ロシア人の名手でメトネル門下のマキシム・シャピロだった。ソリストに彼が登場したのは、スコアを見た新響の指揮者、ローゼンシュトックが、このピアノ・パートを弾ける者は現在の日本ではシャピロしか居ないとして、特に彼を推薦したせいという。実際、この作品の独奏部は瞠目すべきピアニスティックな超絶技巧の連続で、特に両端楽章ではプロコフィエフ顔負けのせわしい「鋼鉄のピアニズム」がこれでもかとなかなか切れ目なく、展開されてゆく。戦前・戦中期、いや、戦後初期まで含めた日本のピアノ協奏曲の中では恐らく最も演奏の難しい作品だろう。
では、そのような「鋼鉄のピアノ・パート」によって、この音楽は何を表現しているのか。それは飛行機の飛翔する様なのだと言ってしまって、恐らく差し支えあるまい。特に間断なく回り続ける飛行機のプロペラや、やはり間断なく風を切り続ける翼が、この協奏曲の止まらずに走り続ける独奏部にイメージを与えている。はて、そんな説明は何を根拠に? 実は大澤のピアノ協奏曲第3番は航空機、神風号に捧げられているのであり、初演時のプログラム冊子上では、この作品には《神風協奏曲》という副題まで添えられていたのだ。
神風といっても、日米開戦のまだ3年前の作曲だから、もちろん体当たり攻撃の神風特攻隊とは関係がない。ここで言うそれは、すべての部品が国産という意味での純国産飛行機の第2号機で、朝日新聞社所有の神風号のことである。神風号はイギリス国王、ジョージ6世の戴冠式を祝って、1937年4月6日午前2時12分に立川を飛び立ち、香港、ハノイ、カラチ、バスラ、バグダッド、アテネ、ローマ、パリ等を経由し、現地時間で4月9日午後3時30分、つまり離陸から94時間18分でロンドンに着き、東京−ロンドン間の最速飛行記録を樹立して、日本の航空技術を世界に知らしめ、国中が大いにわいた。橋本國彦作曲の《世界一周大飛行の歌》といった記念ソングも作られた。
恐らく大澤は、これを自身の作曲の技術と精神を示すのによい機会と考えた。激しく動き続ける機械のイメージを音楽で示すのは、オルンスタインの《飛行機での自殺》やプロコフィエフの《鋼鉄の歩み》やオネゲルの《パシフィック231》の例を引くまでもなく、大澤がよく身につけたモダニズム音楽のお手のものであり、神風号にひっかければ、その種の様式で作曲しても、日本の聴衆にも受け入れられやすいのではないか。こうして神風号の持ち主、朝日新聞社の助力も得、飛行新記録達成の約1年後に初演に漕ぎ着けたのが、《神風協奏曲》だったわけだ。
第1楽章はLarghetto maestosoで始まる。冒頭に示される変イ、変ホ、ヘの3音は言わばエンジンのモットーで、この飛行機協奏曲の動力源である。そのモットーをピアノが受け、緩急の波を繰り返してゆき、そこにトランペットとトロンボーンのスケルツォ風行進曲動機が絡む。エンジンがかかり飛行機が離陸しはじめるわけである。ついでAllegro assaiの主部に入り、トランペットとトロンボーンが8分の6拍子によるもうひとつのスケルツォ風行進曲動機をやりはじめ、その合間にホルンの吹く高みから優雅に崩れ落ちてくる雲か霧のような下降音型が入り、それらに乗ってピアノはいよいよ精力的な無窮動に入る。飛行機は完全に飛び立ち、高空を目指す。やがていかにも空を飛翔するように大きく跳躍する新たな動機が全管弦楽にあらわれ、あとは「エンジン・モットー」と行進曲動機群と「雲・霧動機」と「飛翔動機」がソナタ風に料理されてゆく。ピアノはそれらの素材を性急なトリル、トレモロ、グリッサンドを多用しつつ、アクロバティックに接着し、飛行は逞しく続くが、やがてピッコロの甲高いハ音と共に彼方へ見えなくなる。
第2楽章はABA'の3部分形式によるAndante cantabile。夜間飛行風の音楽、ないしは夜のジャズである。Aはサックスが甘美で異国的な主題を提示し、それをすぐピアノが受け、ジャズのハーモニーが広がってゆく。飛行機は西アジア上空を飛んでいるのだろう。Bはシンコペートを利かせた早めの舞曲になる。A'はAをより技巧的に再現する。
第3楽章はAllegro moderato : Allegro vivace。ABACAにコーダというかたちをとる快活なロンド。Aはピアノ主導のジャズ・トッカータ、Bは木管の活躍するスケルツァンド、Cはジャズというかヨーロッパのミュージック・ホールとかキャバレーの音楽をイメージしていて、神風号がパリやロンドンに近付いたことを告げる。そしてこれらABCのすべての部分には、第1楽章に現れた3音モットーと行進曲風動機が随伴している。コーダは弦楽による急速な反復音型の堆積に導かれ、vivacissamenteで一気呵成に結ぶ。
この協奏曲は神風号に材を取り、1938年の日本の聴衆にも分かりやすいモダニズムを目指したにもかかわらず、ピアノのあまりの難度のためか再演に恵まれず、初演きりでどうも忘れられてしまったようである。今回は65年振りの蘇演になるのではないか。
【楽器編成】ソロ・ピアノ、フルート、ピッコロ、オーボエ2、クラリネット2(Esクラリネット持替)、アルト・サックス、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、トロンボーン2、ティンパニ、シンバル、小太鼓、タムタム、タンバリン、チャイニーズ・ドラム、弦5部
【初演】1938年6月24日「大澤壽人作曲指揮 愛国交響大演奏会」(大阪朝日会館)で初演された。作曲者の指揮、マキシム・シャピロのピアノ独奏、管弦楽は宝塚交響楽団。
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作曲家