伊福部昭 (1914-2006)
オーケストラとマリンバのための
「ラウダ・コンチェルタータ」 (1979)
作曲家  藤田崇文
私は大学時代、作曲の教鞭をとっておられた伊福部昭先生に師事致しました。すでに古稀を迎えられていましたので、大学にも週一度程度の来学でしたが、師との出会いが人生に潤いを与え、音楽に対する志を高く持つ事ができました。 郷土も同じであったため、同郷の話題にも楽しく花が咲き、「ハンカクサイ」などの北海道弁も飛び交う中で周りの友達(学生)はあっけにとられていた様子を思い出します。
「音楽の素材はそこにある」と言う事を教えてくださったのは伊福部先生でした。北海道十勝・音更で少年期を過ごした先生はこの地アイヌ民族との関わりが伊福部音楽の根源とも言えるでしょう。
「自己に忠実であれば、必然的に作曲家は民族的である事以外に、ありようがない。自らの民族の特殊性を踏まえずして、普遍的な芸術に到達することはできない」と主張され、欧州はひとつの半島にすぎず、この音楽のみを権威とみなすことに意義を唱えていました。
今回取り上げられる「ラウダ・コンチェルタータ」もこうした民族色の背景を色濃く残している作品です。

今から35年前の1972年に92枚のデッサンが完成。1975年にはコンデンス・スコアが完成(22ページ)。1976年にはLAUDA CONCERTATA per Xilofono ed Orchestra として完成。
1978年平岡養一氏の木琴演奏活動50周年記念の為に書かれた木琴と管絃楽の作品ですが、演奏されないまま、マリンバソロ用に加筆し、1979年9月12日新星日本交響楽団(現・東京フィル)36回定期にて東京文化会館で安倍圭子氏との共演により初演されました。

平岡氏使用のシロフォン(木琴)は米・ディーガン社製(現在は京都に保管)最低音F(ファ)から最高音C(ド)の3オクターブ半。このシロフォンの音域を想定内に1978年の楽譜にはソロパートはFまで。その後、マリンバ用に音域をもう1オクターブ最低音を増やし、木琴2本バチからマリンバ4本バチで演奏対応可能に加筆され、1979年最終123ページのスコアにて終止符がうたれました。
初演時のノートに先生は次のように記される「ゆるやかな、頌歌風な楽案は主として管弦楽が受け持ち、マリンバは、その本来の姿である打楽器的な、ときに野蛮にも近い取扱いがなされています。この互に異なる二つの要素を組み合わせること、いわば、祈りと饗性との共存を通して、原始的な人間性の喚起を試みたのです」
曲名タイトルにも迷ったようです。LAUDA ANTICA、LAUDA Arcaica、古代の頌歌、司伴頌歌、シャーマン頌歌、Ode of Shaman 、shamanismなど。なお、「シャーマン」という語は実に表紙の5カ所にタイトル書きがあり、北方・ユーラシア古代の民族的な要素を充分に含んでいる作品と考えてよいでしょう。先住民族の慈愛に満ちた豊穣な精神文化の底には、シャーマニズムという人類最古の宗教的・霊的知恵すべての総合である創始者の世界観が流れています。 マリンバの紀元はもっとも古く、人類が物を叩く、板を叩くという本能から自然発生的に発達し、紀元前1000年頃ピラミッドの中やバビロンの彫刻にマリンバのような鍵盤打楽器としての記録も残されています。
こうした原始的な素材をモティーフに、ラウダの構想はあったのだと思います。少年期、大地や自然の恵みと共存した先住民族アイヌとの交流を垣間見たのかもしれない。この作品は委嘱作品ではない理由もうなずけます。先生は良く語っていました。「作品は自分が作りたいから作る」それでいいのだと。
このたび、伊福部家のご協力により、デッサン・スコアなどの原譜類を拝借し、最初の作曲構想、そしてマリンバへの転換など、様々な要因を含むこの作品を学術的に作曲意図から研究しました。
今回、本名徹次氏指揮・オーケストラ・ニッポニカとマリンバ奏者大茂絵里子氏の共演が、新たな伊福部音楽発見の1ページになると確信しております。最後になりましたが、ご協力頂きました伊福部家の皆様に心より御礼感謝申し上げます。
(ふじた・たかふみ)
資 料
■原譜提供・協力:
   伊福部家
■キャプション:
   藤田崇文(作曲家)
写真の無断転載を禁じます。


デッサン初期・主題1
曲の冒頭部は5小節カットされ、実際には6小節目から冒頭テーマがはじまる。このカットされた5小節間は中間部に展開されてくる。


デッサン初期・主題2
マリンバ・ソロが最初に出てくる所は、ティンパニ・ソロ3連符による連打の構想もあった。


デッサン総集
1972年/72枚のデッサンが完成。赤・青・緑の色鉛筆を使い分け修正、加筆、切り貼りなどの部分が多数みられる。


コンデンス・スコア
(デッサン)
1975年/シロフォン・ソロとオーケストラ・コンデンスによる冒頭。


コンデンス・スコア
(デッサン)
3、4ページあたりから、修正、加筆がはじまる。この時点ではシロフォン2本バチで書かれている。


コンデンス・スコア
(デッサン)
切貼り部分の裏には、現在の曲進行とは全く違う構想が書かれている。


オーケストラ・スコア
1976年に一度完成したシロフォン版に「8va bassa(1オクターブ下で演奏)」が、連続的に加筆されマリンバ音域に適した修正作業が続く。


オーケストラ・スコア
1979年マリンバ用に改訂した際、このように4本バチ(4音)の加筆箇所が多数見られる。1976年時この音の部分はホルン4本のみであった。


オーケストラ・スコア
1979年/2度目の終止線がひかれた。実に初期構想から長い歳月を経て「ラウダ」が完成。