大澤再発見への第一歩
〜ニッポニカ第9回演奏会&大阪公演「大澤寿人交響作品個展」公演
プログラム(2006/3/4&12)への寄稿文〜
野平 一郎(作曲家/ ピアニスト)
 オーケストラ・ニッポニカのコンサートで「ピアノ協奏曲第3番」を弾かせていただくまで、私は不覚にも、大澤壽人という作曲家の存在を知らなかった。この協奏曲は、当時の日本の作曲家が、どのように西洋を受容し、対峙していたかを知る貴重な資料であり、大変興味深い作品だった。
 響きは、モデルとする20世紀ヨーロッパ作曲界と自らの伝統とのあいだで、いくらかの折衷を余儀なくされているが、それは時代の由だろう。何よりも、その作品は、響きやスタイル、形式、管弦楽法やピアノの書式など、すべてにわたって論理的に書かれていて、
当時の日本作曲界の水準の高さをフランスに見せつけたに相違ない。特に両端の速い楽章は、日本人が西洋音楽を受容する過程で、そうした楽章を書くのを苦手としたという従来の考え方を根本から覆すに十分で、その楽想の展開の容易さには目を見張るものがあった。
 いずれにしろ、再評価の時を迎えた大澤壽人が、日本の創作史の中のしかるべき地位を獲得していくのは当然のことだろう。
野平一郎