社会への眼差し 20世紀という時代の政治、経済、社会の出来事に向き合い、時には歴史や伝統を問い直し、抗いながら生き抜いた日本の作曲家たちは、自己の存在意義をかけて芸術的な創作活動を行いました。それらの実践は、特に1990年代を中心に生み出された作品群に結実しています。
彼らが≪社会への眼差し≫を持って作曲したオーケストラ作品は、今も尚、現代社会に訴えかける明確なメッセージ性を持っています。池辺晋一郎の「悲しみの森」(1998年)は、“世界的な環境破壊で森が喘いでいるような状況に対する作曲家の気持ち”を表現しています。吉松隆の「鳥のシンフォニア(若き鳥たちに)」(2009年)は、21世紀に書かれた作品ですが、“これから音楽の広大な森を自由にはばたく「若い鳥たち」によせる賛歌”です。三善晃の「谺つり星〈チェロ協奏曲第2番〉」(1996年)は、敗戦後50年を迎えたことを機に彼が創作を始めた交響四部作のうちの2作目の作品で、管弦楽の大音量に覆い隠される独奏チェロの姿は、三善晃のオペラ「遠い帆」(1999年)に於ける、権力者の野望の捨て石にされた主人公・支倉常長の姿に重なってみえます。林光の「第3交響曲《八月の正午に太陽は...》」は、作曲者が“北京の春”と呼んだ1989年の天安門事件を切っ掛けにして、弾圧された若者たちに心を寄せた声楽付きのシンフォニーです。 「21世紀は文化芸術が力を発揮する時代となる」、世紀末が迫った1990年代に、このような主張が官民によって喧伝されたことを覚えていますか。しかし21世紀になっても日本の一般的な生活水準は分断され、今や文化予算、教育予算などは削減される一方です。そして、間もなく丸4年になろうとする新型コロナ・ウィルスによるパンデミックは、政治的、経済的には勿論のこと、生活の全てに多大な影響を及ぼしました。中でも音楽活動は、継続どころか生活に於ける優先順位を問われ、存在意義を自問自答するまでの状況に追い込まれました。さらに、2022年2月にロシアがウクライナへ侵攻する戦争を勃発させたことで、音楽への厳しい問いに拍車が掛かったことは言うまでもありません。そして、人間の社会的、文化的生活に於ける危機感に加えて、昨今の夏の厳しい暑さや激化する自然災害などには、地球環境の変動を身体的に感じ取らずにはいられません。 作曲家一人ひとりが創作した過去の作品を耳と心で聴き、理性と感性を持って受け止めることは、現代に生きる私たちの務めであろうと思います。現代日本を代表する作曲家である野平一郎による指揮、現代音楽作品の演奏にも評価の高い気鋭のチェリスト・横坂源と、第82回日本音楽コンクール声楽部門(オペラ・アリア)第1位を獲得後イタリアの歌劇場で活躍、国内活動も精力的に展開し注目を集めるソプラノ歌手・竹多倫子、という新世代の演奏家を迎えるオーケストラ・ニッポニカの演奏会にご期待下さい。 |