≪【1964年前後・東京オリンピックの時代】

オーケストラ・ニッポニカ第37回演奏会は、1964年前後に作曲された日本の管弦楽作品にスポットを当てます。
まもなく、東京オリンピックが始まりますが、前回東京オリンピックが開催されたのは1964年のことでした。焦土と化した敗戦から10年を経た1955年以降、経済は拡張を続け、1964年にはひとつのピークを迎えました。東海道新幹線の開通、東京の首都高速道路敷設、地下鉄の整備、東京モノレールの開業、王貞治による55号ホームラン日本記録などは、"高度経済成長期"の象徴的な事業であり、出来事でした。
同じ時期、文学、美術、演劇、舞踊など多くの分野で、"従来の芸術的概念を否定して、新しい価値観を持つ作品を創る"前衛芸術活動が世界中で活発となります。作曲の分野でも、前衛的な技法や思想を取り込んだ創作やパフォーマンスが、芸術の"現代"や"新しさ"を象徴するものとして注目を集め、評価されました。同時にこの状況は、多くの作曲家たちにとって創作活動に於ける混迷と困難の時代でもあったのです。  
そのような時代にあって、東京オリンピックを契機とした幾つかの作品が作曲されました。入野(当時42歳)と三善(当時31歳)の作品は、オリンピック開催の前年にNHKが企画したオリンピック関連文化プログラムの一環として委嘱されたものです。入野の「交響曲第2番」は、12音技法を日本に本格的に導入した彼のオーケストラ作品のひとつの到達点です。三善の「管弦楽のための協奏曲」は、無調音楽の語法に独自の中心音、導音的構成要素を採り入れて独創性を確保した、緊張感に満ちた作品です。團(当時40歳)の「交響曲第4番」は、楽章構成的にも新古典主義的であり、音楽の抒情性を重んじる彼の面目躍如たる代表作です。冒頭に演奏される古関(当時55歳)の「オリンピックマーチ」は、文字通り日本のオリンピック・レガシーを代表する作品です。現在でも、吹奏楽曲の傑作として演奏される機会の多い曲です。しかし元来、古関はオーケストラ作品として作曲をしており、1963年に指揮・岩城宏之、NHK交響楽団によって初演されています。50数年ぶりにオーケストラ版自筆楽譜が発見され、再演されることになりました。どうぞ、ご期待下さい。

東京オリンピックの時代に、古関、入野、三善、團の四人に作品を委嘱する企画者がいました。そして、これら四人の作曲家たちの作品には、安易に時流に乗ることのない矜持を感じます。音楽以外にも、今日まで人々の記憶に残る丹下健三設計のオリンピック関連施設、亀倉雄策のオリッピク公式ポスター、総監督・市川崑、音楽監督・黛敏郎のオリンピック記録映画などの、時代的文化遺産があります。
1964年から半世紀以上が過ぎた今、経済的価値が何よりも優先され、また共感や共有より価値観の多様化という蛸壺を好む社会と時代の流れの中に、私たちは居ます。再び芸術の創造活動が、混迷と困難を伴う環境の中に置かれています。
2020年、東京オリンピックの時代は、50年後に何を遺すことになるのでしょうか。