1958年の物語

 1958年(昭和33年)は、さまざまな年齢層の作曲家たちが競うようにして優れた管弦楽作品を発表した年でした。日本の管弦楽作品作曲の開祖である山田耕筰(72歳)は、和楽器をオーケストラの中に加えた「壽式三番叟による組曲風の祝典曲」を作曲。トータル・セリエリズム(総音列技法)を自家薬籠中のものとした松平頼則(51歳)は、「左舞」。初期の抒情的歌曲から脱して十二音技法に到達した柴田南雄(42歳)は、「北園克衛による三つの詩」。舞踊家・石井漠の長男でカール・オルフの律動的な作品の影響を受けた石井歓(36歳)は、「シンフォニア・アイヌ」。生涯前衛的技法に与しなかった別宮貞雄(36歳)は、「万葉集による三つのうた」。4年前に華々しく「三人の会」を結成した團伊玖磨(34歳)、芥川也寸志(33歳)、黛敏郎(29歳)は、それぞれ交響組曲「アラビヤ紀行」、「エローラ交響曲」、「涅槃交響曲」。パリ国立高等音楽院で、黛と同時に学び、かつ同じ歳であった矢代秋雄は「交響曲」。彼らの一年歳下で28歳の武満徹と諸井誠は、それぞれ管弦楽のための「ソリチュード・ソノール」、「コンポジション第2番及び第3番」を。そして、パリ国立高等音楽院の留学から帰国したばかりの、最も若い作曲家であった三善晃(25歳)は「交響的変容」を作曲したのでした。
 15年にわたって続いた悲惨な戦争は、数百万人の死者を出し、東京などの都市を焼け野原にして終わりました。それから13年目の年に、戦火の下で辛い日々を過ごした作曲家たちの手によって、これらの充実した作品群が花開いたのでした。作品ひとつひとつに、それぞれの物語があります。
 オーケストラ・ニッポニカ第27回演奏会は「1958年の交響作品撰」と銘打って、今年生誕90年を迎える芥川也寸志の作品を中心に、三善晃、武満徹、矢代秋雄という、当時気鋭の若手であった作曲家の作品をとりあげます。四人共に日本を代表する作曲家たちであり、海外にまでその名を知られていますが、今回演奏される作品は、日本の管弦楽史における代表作とされる作品もあれば、これまでまったく再演されてこなかった作品もあります。
 「エローラ交響曲」は、1955年に41歳の若さで亡くなった作曲家・早坂文雄に捧げられました。また、「弦楽のためのレクイエム」(1957)を早坂に献呈した武満は、同じく早坂に献呈された黛の「涅槃交響曲」に触発されて、管弦楽のための「ソリチュード・ソノール」を作曲したのでした。芥川も黛も、若い武満の才能を認めて、彼を援助しました。
 三善は3年間、矢代は5年間、ともにエクリチュール(作曲法)の教育で名高いパリ国立高等音楽院に留学し、日本人としてヨーロッパの音楽文化を学ぶ悩みを抱えて帰国します。「交響的変容」も「交響曲」もパリで作曲のデッサンを始めて、帰国後に完成された作品です。岩城宏之が指揮をした「交響的変容」の最初のリハーサルには、黛と矢代が立ち合ったと、三善は回顧しています。
 日本の1958年の作曲家たちの夢と、結実した音楽文化の豊かさをふり返ります。