海を越えた木琴 (独奏用木琴探し顛末)
「2003年7月13日ニッポニカ第3回演奏会プログラム解説より転載」
ビオラ 中村昌子
 紙恭輔の『木琴と管絃楽のための協奏曲』では、楽譜の発掘、パート譜・ソロ譜の団員による写譜に加えて、ソロ・パートを「どのような楽器で演奏するか」が大きな課題となりました。独奏を受諾する際に吉原すみれが譜面を検討し、現在の通常の木琴では演奏不可能な低い音域を使用していることを指摘したのです。一般的な木琴の最低音は、4オクターブの木琴でもト音記号五線下のいわゆる”真ん中のド”。ところが、この曲では、それより1.5オクターブも低いヘ音記号下線にぶら下がるファ♯の音がでてくるのです。
 当初考えられたのは、より音域が低く広いマリンバで演奏する、もしくは木琴で1オクターブ上げてさらに一部音形を調節して演奏する、という二つの方法でした。ところが、いざ楽譜も整い、オーケストラで音をだしてみると、その曲想や音の使い方からみて、どうも納得できる解決法ではありません。この音域の木琴独特の明るい軽やかな音色なしにこの曲は考えられなかったのです。初演ではどのような楽器が使われたのでしょう。
 この作品は1944年4月11日、作曲者指揮、平岡養一独奏で放送初演されています。団員が平岡の活動を追跡しましたが情報が得られず、結局ご遺族に直接おたずねして初めて、低音を足した4.5オクターブの特注楽器であることが判明しました。この平岡の所有楽器は2台あり、現在1台がアメリカに、もう1台は鍵盤と台がばらばらになった状態で日本国内にあることもわかりました。放送初演のときにはこのうちのどちらかを使用したことになります。
 当時、平岡の注文を受けてこの特注楽器を製作したのは、シカゴのディーガン社です。1920年前後の北米は、マリンバや木琴の黄金時代とも呼ばれ、すばらしい楽器が数多く製作されており、ディーガン社はその中心的存在でした。記録によると、特注の木琴の中には5オクターブの音域を持つものまであったそうです。
 この平岡の2台の楽器のうち、日本にあるものについては、ハモンドオルガンで有名な浜松の鈴木楽器に台があるとのことでした。そこで団員が現地まで出かけて調査した結果、現在、オリジナルの状態では使用できないことがわかりました。
 アメリカの1台は、現在も米国ロス在住のご遺族の元にありました。今年は平岡の23回忌。奇しくも、本日のニッポニカの演奏会は、平岡の命日です。そのご縁もあり、清水良子さん(ご長女)がアメリカからもう一台のオリジナル楽器を運んできてくださったのです。この楽器も永く眠っていました。もう一度日本で組み立てて音を出してみるときには、皆祈るような気持ちでした。
 放送初演から59年の時を経て、太平洋の反対側から本日の紀尾井ホールに、平岡使用のオリジナルの木琴が運ばれてきました。吉原すみれの手で命を取り戻す日本で最初の打楽器協奏曲。敗戦間近の日本に響いたどこまでも明るい木琴の音色は、今日、皆様の胸にどのように届くのでしょうか。