空を飛んだマリンバ (北京公演こぼれ話)
ビオラ 門倉百合子
 石井眞木作曲「アフロ・コンチェルト」に使うマリンバは、福井にあるこおろぎ社が貸与してくれたものである。当初はこのマリンバを東京の本番で使ったあと、福井に返送することになっていた。しかし、北京で5オクターブ以上ある適切なマリンバが調達できないかもしれない、という状況のもと、東京から北京へ飛行機でこおろぎマリンバを運ぶことになった。分解されたマリンバは、丈夫なハードケース6個と、共鳴管の入った大きなダンボール1つに収められている。ダンボールはニッポニカ・フレンズ会員のS氏が、半日かけて補強工作を施してくださった。
 いよいよ10月8日午前、マリンバのケース7つが成田に搬入された。そのほか洗足岡田チームの打楽器のハードケース2箱、バラフォンのはいったダンボール1箱、プログラムがはいったダンボールが3つ、テューバ Kさんの楽器。この日に同じ便で北京へ移動するオーケストラ第1陣は全部で45人だったので、手荷物ひとりあたり20Kgx45人=900Kgまでは無料の計算になる。航空券を各自受け取ってから、待合室ロビーの中を大荷物を抱えた行列がぞろぞろと中国国際航空の受付カウンターに向かった。受付嬢は荷物の山を見てびっくり、責任者を呼べと血相を変えて英語でまくしたてているので、JTBの担当者に登場願い、計量が始まる。個人の手荷物全部とマリンバ他のものを全て測り終わり、航空会社とJTBの交渉が続く。皆固唾を呑んで待っているとしばらく後OKの合図。無事通過、しかも追加料金なし、という結果に一同思わず拍手してしまった。
 全員出国手続きを滞りなく済ませ、出発ロビーでしばしくつろいだあと中国国際航空機に乗り込む。ほぼ定刻に出発し、3時間半ほどの飛行で北京空港へ到着した。箱がこわれることなく無事に到着したマリンバ一式を、何台ものカートに載せて税関を通過する。またぞろぞろと出口へ向かうと、この最後の関門のところでこれは何だ、と見咎められてしまった。メンバーのほとんどは既に自分の荷物を受け取って外に出てしまい、残った10人程がマリンバの山と残された。責任者が呼ばれて遠くのカウンターでなにやら交渉しているが、どうも埒が明かない。30分位待ったあげくやっと中国対外演出公司の方がみえて、詳細説明でようやく入国OKとなり、外へ出ることができた。飛行機が着いてから飛行場を出るまで2時間以上かかってしまった。
 空港の外で待機していた2台のバスの床下トランクルームに、マリンバと打楽器他を分散して積み込む。北京飯店へ向かってチェックイン、その後10人ほどが中央音楽学院へバスで向かう。天安門や人民大会堂などライトアップされた壮大な建物群に息を呑みながら、しばらくして会場へ着いた。既に20時半をまわっており、室内楽コンサートはもうすぐ終わってしまうのだが、マリンバも降ろさなくてはならない。結局楽器運びに時間をとられてコンサートの最後の1曲を聴けたのは数名だけだった。しかし、楽屋で待機していた藤井はるかさん、藤井むつ子さんには大喜びしていただいた。終演後早速翌日のリハーサルに向けてマリンバを組み立てる。何度もやっているメンバーは手馴れたもので、首尾よく箱から部品を出して組み立てていく。再びバスでホテルへ帰り、すぐそばの王府井で一杯やったことはいうまでもない。
 さて翌9日午後、室内楽の本番では、藤井むつ子さんがこおろぎマリンバで石井眞木作曲「飛天生動III」を熱演。夜のオーケストラリハーサルには台風の中を東京からかけつけた第2陣も加わり、藤井はるかさんが「アフロ・コンチェルト」でマリンバを演奏された。藤井さん親子は以前からこおろぎマリンバを愛用されているそうだ。そしてリハーサル終了後、翌日の会場である中山公園音楽堂へ移送となった。皆で手分けして分解し、箱へ詰める。バスでホテルへ帰ったのは23時過ぎだった。
 ついに10月10日になり、故宮博物館の西側にある中山公園音楽堂にバスで向かう。昨夜搬出した楽器が無事全部届いていることを確認し、舞台袖でマリンバを再び組み立て、ステージリハーサルが始まった。そして午後はいよいよ本番である。ブラッハーが無事終わり、唐先生、秦先生は作品演奏後熱狂的な拍手と歓声で舞台へ迎えられた。そしてはるばる空を飛んできたこおろぎマリンバの「アフロ・コンチェルト」が響き渡った。はるかさんの演奏は石井眞木先生に届いたに違いない。終演後はメンバー総動員で楽器を片付け、北京飯店でのレセプションに出席した。中国側のお客様もたくさんみえて、盛大に和やかに親交を深めることができた。北京の街中に繰り出し、二次会三次会と夜更けまで様々な輪が広がった。
 翌11日の朝、トラックに積んだ打楽器群が北京空港で私たちに引き渡された。マリンバ、バラフォンのほかに洗足打楽器1箱、孟さんの打楽器2箱、プログラムの代わりには回収した楽譜のダンボールが1箱、そしてTuba。果たして積み込めるか、カウンターの前で往きと同じように行列を作ってひたすら待つ。最初は中国国際航空の日本人スタッフが対応していたが、次に「主管」の名札をつけた中国人女性がでてきた。荷物を一つずつ計量していくが、どうもなにやらもめている。グループ全体の重量はOKだが、1つで115Kgもある洗足チームのハードケースのことで、飛行機へ積み込む現場スタッフがごねているらしい。しかし主管女史は何とか積み込ませたい(…というよりは、われわれが早いところ目の前から消えてほしい)ようだった。結局追加料金なしでOKとなり、じっと見守っていた藤井さん親子も信じられない様子で胸をなでおろす。ここまでくるとエキストラの方も自主的に手伝って下さり、皆で搬入口へ運び込む。115Kgの箱を運び入れたときは、向こう側で「うわーっ」という声がするのが聞こえた。計量から積み込み作業に1時間くらいかかってしまったので、通関後の買い物などの時間はほとんどなく、そのまま全員搭乗口に走り飛行機に乗り込んだ。
 3時間半の飛行で成田到着、搬出口から出てくるマリンバの箱をカートに積み込み、全部確認して無事出国手続きを終了した。楽器をそれぞれの持ち主に返送するため、運送会社カウンターへとロビーを再びぞろぞろと移動する。手続きを終えて皆で記念撮影をし、円満終了となった。♪
マリンバ