コラージュ・秋山邦晴

秋山邦晴(1929〜1996)の活躍の軌跡を、ひとつの肩書きで表わすことはできない。行動する音楽評論家であり、日本近代音楽史の音楽学者であり、映画や美術をはじめ幅広い芸術分野に著述を残し、大学に於ける教育者でもあった。多様な企画のプロデュースやコーディネート、雑誌編集、時には指揮、作曲や詩の創作などに携わり、「反核・日本の音楽家たち」などの社会運動にも参画した。何をするにしても、彼の視線は常に"今"を鋭く捉えていたし、過去にも未来にも注がれていた。私たちの時代の文化や社会が、過去の時代とどのようにつながっているのか。時には過去との断絶をも意識しながら、私たちは今どこに居て、未来へ何をどのように手渡すべきか、いつも時間的座標軸の下に思考し、行動していた人であったと思う。
 秋山が没して20年以上の歳月が過ぎたが、彼の業績は現在も輝きを失っていない。設立して15年になる「芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカ」の演奏会企画の幾つかは、秋山の業績なしにはあり得なかった、と言っても過言ではない。  秋山邦晴へ捧げるオマージュである第32回演奏会のプログラムは、彼と縁のある作曲家や管弦楽作品を散りばめたコラージュである。コラージュの素材は、つぎの五つに絞った。  最初の素材、組曲「太平洋ひとりぼっち」は、映画音楽に深い理解があった秋山の大切な友人のひとり、武満徹(1930〜1996)の作曲によるもので、芥川也寸志(1925〜1989)との共作である。
 二つめはサティ(1866〜1925)。サティ研究は、秋山のライフワークのひとつあった。集めた資料をコラージュして私的辞書を作る、サティ作品の演奏会を企画する、ピアニスト・高橋アキとともにサティ・ピアノ全集(全音楽譜出版)を出版する、大著「エリック・サティ覚え書」(青土社)を著わすなど、取り組みは広く開かれていて実践的であった。「パラード」は台本:コクトー、美術:ピカソ、音楽:サティの布陣による破格の舞台作品。  三つめの伊藤昇(1903〜1993)は、秋山が1970年代半ばに再評価した"日本の未来派"である。「マドロスの悲哀への感覚」は、当時のプロレタリア文学に基づく先鋭的な作品であり、ニッポニカにとっては13年ぶりの再演となる。
 四つめは湯浅譲二(1929〜)。「実験工房」から出発した秋山の友人であり、現代音楽の様々なシーンで行動を共にした。88歳になる今も作曲活動をおこなっている驚異的な創造力を持つ人物である。
 最後は、早坂文雄(1914〜1955)の「管弦楽のための変容」。この作品の自筆譜面は新聞紙にくるまれた状態であったのを秋山が発見し、芥川也寸志・指揮の新交響楽団により1979年4月に初演された。この演奏会は、秋山が企画・構成を担当した。今回の演奏は、実に38年ぶりの舞台再演である。
 オーケストラ・ニッポニカのミュージック・アドヴァイザーである作曲家・野平一郎の指揮、気鋭のピアニスト・長尾洋史の演奏に期待をいただきたい。