安部幸明の個展 〜調性・古典的ソナタ形式・アレグロ音楽への挑戦〜

安部幸明

 日本の作曲家として安部幸明(1911〜2006)は、変わらぬ創作の姿勢を生涯に亘って貫いた。その揺るがぬ姿勢は、ある意味で伊福部昭と双璧である。安部は、その姿勢を自身の言葉で明快に語っている。『さて私の作風だが、調性があることはいうまでもない。それに三楽章、あるいは四楽章から成る古典的なソナタの形の曲を作ることを好んだ。ということは西洋音楽の70%は速度の速いもの、またそれに舞曲的なものだということで、私はアレグロを書くのを最も好むということだ。(1997年)』
 安部は、明治44年広島に生まれた。東京音楽学校(現・東京藝術大学)で、チェロをハインリヒ・ヴェルクマイスター、作曲・音楽理論をG.マーラーの弟子クラウス・プリングスハイムに学んだ。安部は生涯に、西洋古典音楽の形式である交響曲を3曲、弦楽四重奏曲を15曲、その他を作曲した。彼の作品は国内外で演奏をされて、特に「シンフォニエッタ」(1964)は名匠アルヴィド・ヤンソンスがレニングラード・フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会にも採りあげたほど、評価をされた。日本において、安部幸明より以前に生まれて、代表作に足る交響曲を3曲以上作曲した主な作曲家は、大木正夫(1901)、諸井三郎(1903)、大澤壽人(1907)、清水脩(1911)くらいであろう。そして、弦楽四重奏曲を15曲も作曲した作曲家は世界でも稀である。
 安部がその創設時に尽力した広島交響楽団は、ここ3年間に年一度ずつ、安部作品の演奏を地道に継続している。しかし、これほどの評価を得たシンフォニストの作品がまとめて演奏される機会は、何故かこれまでになかった。
 この個展演奏会の指揮者は、安部と同じ時代に、同じ学校で、同じ師に学んだチェリスト・井上頼豊の薫陶を受け、また近年指揮者としても各地のオーケストラへの客演がめざましい、鈴木秀美である。
 安部幸明が生前に初演を待望していた「オーケストラのための交響的スケルツオ」(1939)から「ピッコラ・シンフォニア」(1985)まで、作曲家としての約50年間の創作の軌跡をたどりながら、その業績を再評価するこの企画にご期待下さい。